2017年5月23日 (火)

ボタン園、遅かりし

先日、近くの寺院の庭がボタン園で有名なのですが、

急に思いつき一目見ようと思い立ちました。

ネットで開花状況を調べたところ満開はとうに過ぎて

いるらしい。兎に角行ってみることにしました。

途中、5月の花々が咲き乱れて珍しい草花の撮影を

楽しみながら先を急ぎました。

ウバユリの葉、ヤブニンジン、ウラシマソウの葉、ジシバリ、

アカシアの白い花など、など。

お寺さんの名前は、総持院。

境内は、静かな佇まいです。

えっ!観光客がいない。そんな。もう終わったのかな。

と思いながら園内に入りました。

やっぱり。チラホラボタンの花が咲いてはいましたが

思った豪華な満開の状態は見ることができず残念。

古い言い回しですが、

歌舞伎のセリフの「遅かりし由良之助!」でした。

P1070136 P1070146

P1070145 P1070118

P1070116一か所、見事な咲きっぷりでした。

2017年5月 5日 (金)

第8回・世界盆栽大会inさいたまが開催

京浜東北線のさいたま新都心駅近くにある

さいたまスーパーアリーナで世界盆栽大会が

開催され4月30日が最終日。

以前から興味がありましたので出かけました。

1755bonnsai11755bonnsai2 1755bonnsai3

  「おもてな修景施設・庭園」      今回のポスター      盆栽美術館のPR紙

P1240726

P1240706 P1240709

                               ↑北斎の神奈川沖裏

駅からアリーナ方向に向かって人並みが続き、

これは大盛況だなーと思いながら前に進みました。

会場前には、長蛇の列。入場するのは

諦めて欅広場などをぶらぶら。

「おもてな修景施設・庭園」ということで日本の修景・

北斎の神奈川沖裏・竹林・象潟九十九島を

イメージした日本庭園の技能と素材を

屈指した庭園が表現されていました。

会場には入れませんでしたが、

先日NHKでその様子が放送されていて海外からも

人気があり外国人のデモストレーションもあったようです。

このところ日本文化が海外にも知れわたり

日本を訪れる人数が増しているいう。

外国人に盆栽がなぜ人気があるのか、私たちは、

古いものとして忘れかけていますが、彼らによって

再認識され刺激を受けることは、なにかくすぐったい感じです。

2017年4月23日 (日)

クリーンエネルギー 発電装置の開発

原発の安全性に対してクリーンエネルギーということで

太陽光発電が一種ブームになりましたが一段落の様相です。

「クリーンエネルギー」や「クリーンエネルギーの装置 発明」で

ネットに入力すると面白い記事が掲載されていました。

その中に「記者も感激! さいたま市の80歳男性が発明した

「夢のエネルギー」」があり、私のところから近いということもあり

興味をそそりました。

それは、水と重力と浮力のみを駆使してクリーンエネルギーを

 生み出す自然エネルギー”発電装置「アクツ・エコ・サイクル」

 or 球体循環装置ともいい阿久津氏が開発したそうです。

えっ!どんな仕組み?

Img_52143_11図面は「アクツ・エコ・サイクル開発プロジェク」のサイトより


その構造は、主に球体が水中を上昇する上昇室、球体が空中を

落下する落下室、上昇室の上端および落下室の下端にそれぞれ

水位の異なる水面を維持するための蓄水室から構成される。

球体は合成樹脂性の中空のもので、内部に金属球を内包する。

この球体が水の浮力により上昇室中を上昇する。

複数の球体が上昇管上端の水面付近に貯まると、

下の球体の浮力により一番上の球体は水面から押し出され、

落下室へと導かれて落下する。

このとき、落下室の途中に羽根車等を設置することにより

落下エネルギーを取り出すことができる。

落下したのち、落下室下端の水面に突入した球体は

下方向開閉弁箱により上昇室に再び導かれ、循環する。

とウィキペディアで説明されていました。

素朴なメカで創られていて面白い装置でした。

2017年4月 5日 (水)

旧吉田茂元首相邸が再建される

旧吉田茂邸は2009年に原因不明の火災で消

失してしまい貴重な建物が、と思っていたところ

再建の運びになったと聞いていました。

この度、旧吉田茂邸はこのほど大磯町の旧敷地

総ひのき造りの建物が再建されました。

元首相の死後西部鉄道が所有していたが、

県が買収し町とともに事業費約5億4千万円を

かけて再建しました。

Visual_yoshida1 005l1

Zo11745

旧建物の設計者は、建築家・木村得三郎によって

応接間棟(1階部分が応接間、2階部分が書斎)と

玄関、食堂が作られました。

昭和30年代には、新館(中2階、2階)と呼ばれる棟が、

近代数寄屋建築で有名な建築家・故吉田五十八氏

の設計により増築され、その際、玄関と食堂も

改築されたという。

京都の宮大工により建築されました。

日本庭園は作庭家、中島健が設計。

ここは4月1日から一般公開。観覧料は大人500円。

写真は、マイナビニュース、 公益財団法人神奈川県公園協会のサイトなど
より拝借させて頂きました。

2017年3月19日 (日)

興味深い「雑誌」を手に入れました。

昨年、ヒットした連続テレビ小説「とと姉ちゃん」は、

「暮らしの手帖」を立ち上げた大橋鎭子と花森安治を

中心とした物語でした。

その暮しの手帖で発行した別冊「自分で作れる家具」

の本です。

348722531 20120411_82b41b1

この本は、昭和27年10月に発行されています。

戦後間もないころで生活用具も家具というものも

何もない時代でした。それというのも、日本の住生活は、

畳での座る生活が主体の和風のスタイルでしたため、

畳に置く家具は、座卓や茶箪笥に箪笥があるくらいでした。

このころ生活の近代化が進められ、洋風の椅子式生活と

いうの合理化運動が叫ばれていました。

Cut34872253_o11 Img573

130486290_6241 Kurasikagu41 Kurasikagu31

そんな時代だったのでしょう「家具」というテーマが

取り上げられ、ユニークなのは自分で作れるということを

主にした家具の設計図が掲載されているのです。

今風にいうとDIYですね。

2017年3月 5日 (日)

前川国男の建築を観光地に

新聞記事では、近代建築の旗手とされる氏が設計した作品がある

全国八つの自治体が集まり「近代建築ツーリズムネットワーク」を結成。

モダニズムと呼ばれる20世紀建築を観光する楽しみを連携して情報を

発信していく、という。

Img03_061自邸

Saitamakaikan1
埼玉会館

Photo
埼玉県立歴史と民族の博物館

東京都、埼玉、神奈川、岡山、熊本、新潟、福岡、青森、弘前の県市。

昨年、国立西洋美術館が世界文化遺産に登録され、近代建築への

注目が集まったことなどが結成のきっかけになったとのこと。

会長の弘前市長は、「日本の近代建築を観光資源化し、その価値を

世界に発信する。かつてないことを都市の連携で進めていきたい」と

あいさつされた。

今後、各地で協力して開いていく展覧会やイベント、パンフレッドなどに

活用していく、らしい。

我が市にも前川氏の建築が2個所あり、浦和駅の近くにある埼玉会館は、

現在改修中です。

もう一つは、大宮駅から東武野田線の大宮公園駅近くにある

埼玉県立歴史と民族の博物館がある。

学生時代、前川さんの自邸をコピーする課題がだされことにより、

かつて目黒の上大崎にあった自邸を見学したことがありました。

この家は、現在小金井市の江戸東京たてもの園に移築されています。

注:写真は、県と江戸東京たてもの園のサイトより拝借させて頂きました。新聞の記事は、東京。

2017年2月17日 (金)

高校生の夢、飛んだ 「飛行機の父」明治の図から製作 

名古屋市立工業高校飛行機同好会の生徒らが「日本の飛行機の父」と

呼ばれる二宮忠八
(ちゅうはち)(1866~1936年)明治時代の

スケッチを基に
2010年に製作を始め、その飛行機の試験飛行が

二十八日、
津市香良洲(からす)町の民営の香良洲飛行場で

ジャンプ飛行に成功した、という。
17128pk2017012902100071_size01 2017127431132_0_001
17.1.28高校生の初のジャンプ飛行機(中日新聞のHPより)
17217246db1be20a80218a25e3079b1fd1c しゃベルのHPより、初号機の開発        

エンジン式有人機の飛行成功は高校生では日本初の快挙で、

見守った生徒や卒業生ら
約百人が喜びを爆発させた。

初号機は重量オーバーで飛行できず、二号機の今回は機体や両翼を

軽量化して臨んだ。

時速約四十五キロに達して一メートルほどの
高さに浮き上がると、

そのまま約五秒間、
約七十メートル宙を舞った。
                                        東京新聞2017年1月29日 朝刊より

実は、小生のHP16.3.5の3月号のブログに、 

「新発明したが、一足先に 飛行機
「日本にライト兄弟より先に・・・」を

掲載しました。
航空機の歴史は、アメリカのライト兄弟が初めて空を

飛んだ
ことから発展してきましたが、このライト兄弟のフライトより前に

香川県のひとが
空を飛ぶことを夢め飛ぶことが可能なところま考えて

模型を作ったそうです。

その人は、二宮忠八でカラスが翼を広げたまま
滑空する姿を見て

ひらめいたそうです。

2年後カラス型のゴム動力による模型飛行機を
作り約10M飛んだという。
Photo 二宮忠八飛行機館のHPより
 
ライト兄弟が1903年の12年前の出来事。その後、玉虫型飛行機の

設計をし、軍に協力を3度も要請したが却下された。

玉虫型飛行機の完成まであとすこしまできたところで機体をたき

壊し止めてしまった。

それはライト兄弟が飛行に成功したことを知ったことによるという。

力と資金力などのあるところの支援があれば、どうなっていただろう?

では、そのカラス型、玉虫型の飛行機の姿は、香川県まんのう町の

二宮忠八飛行機館に実物大の模型が展示されています。

«「昔の家」林芙美子のエッセイ